【HSP】優しいは自己満足でいい
いま話題になっている「繊細さん」(HSP)
私もどちらかというと、その人種に当てはまる
幼い頃から親には
「誰にでも優しく・悪口は言わない」
と教えこまれ、気づいたらHSPになりやすい傾向の人間になっていた
もちろんこの言葉や全て実行できる人間は、とても素敵でお坊さんのように器の大きい人間だと私は思う
今回は人に優しくすることに対することに着眼点を当てて語ります。
「誰にでも優しく」
学生の頃は誰にでも優しく、困っていることがあったら自ら助けに行った。社会人なってからもお年寄りの道案内をしたり、会社で仕事を引き受けたり率先してやった。
その中で何回かあった出来事
体調のこともあり本当に気が進まなくて、友人からの誘いや頼みを断った時があった。
その時に言われたのが「ノリが悪い」「私のときだけ手伝ってくれない」「〇〇(別の友人)は優しいからすき〜」と言う言葉を投げかけられた。
元々自己肯定感も低かったため、その言葉を聞くうちに「他人を優しくできない私は存在価値があるのかな?」「優しくできない私は、器の小さい人間なのかな」と病み始めた
自己肯定感が低い&HSP
正直誰にでも当てはまる訳では無いが、少なくとも私の場合は「友達がいなくなったらどうしよう」という考えが10%あった。
その考えのせいか、親が本来求めていた「誰にでも優しく」ではなく「自分の精神安定のための優しさ」に
顔見知り全員に気を使い始め、話を合わせなきゃ、NOという回答はダメなんだ と思い始め勝手にひとりで疲れ始めた。
高校の頃は広く浅くをしていたため、学生時代は心を許して会話できる人間は片手で数える程
沢山知り合いはいるのに、
信じられる人間は1%
優しくしないは意地悪?
社会人2年目になって学生の頃の友達とは、ほとんど連絡をとらなくなった。年に2、3人と仲がいい人とラインをするくらい。
毎日同僚と帰り道が一緒で、仕事の愚痴と何かいい事あったかのアンケートと男とどう遊んだか、一人で帰りたくて早く会社を出ても後ろから追いかけてくる、あの人のファッションがあーだこーだの毎日で精神的にも疲れていた。
馬鹿なことに、私もニコニコして断らず一緒にずっと帰っていた。賛同もめちゃくちゃしたし、断り方を知らなかった。
ある日精神的にきつくなり思い切って、同僚を振り切って先に帰ることにした。
すると次の日から誘いがなくなったが
「〇〇さん(別の人)は優しいから素敵〜」「〇〇(私の欠点)ある人って無理だよね〜」と言い始めた。そして意地でも私の名前を出さないように頑張っていた。
そんな状況が半年ほど続いたある日
同僚からラインで「今まですみませんまた仲良くしたいです」ときた。
仲良くしたところで私がきをつかうし、同じ職場だからこそ半年前と性格が変わってないところをみると
YESと応えると同じ結果になる
直感でそう感じ、ラインをブロックした。
今考えると、同僚は周りに馴染めていないひとだった。仲良くなった私がいなくなることを、ひとりになることを恐れたのだ。
性格の不一致、話が合わない、断りたい、仲良くしたくない、ひとりになりたい理由がある中で同じYESマンに言いたいのが
自分が嫌だと思ってることをされたら、避けた方がいい。
特にHSPは心にその気持ちを閉まってしまうから、余計辛い気持ちが溜まってしまう。
けど
本当に大切にしたいひとなら、嫌な理由や改善して欲しいことを伝えてあげないと永遠に辛い気持ちを持ちながら一緒に過ごすことになる。
ということ。
私の場合は強行手段にでてしまったが、ストレスは格段に減った。
HSPは時に友人関係の整理も必要なのではないのかなと感じた。
優しさは自己満足で義務じゃない
優しさは義務ではなく、自己満足でするべきだ。(事故や怪我とか以外)
もちろんみんなが優しくなれば、心地いい世界になることは間違いない。しかし今までの人生経験やコロナで始まった人間の行動をみると、その世界は私が生きている間にはこないかな
「あの人が優しくしてくれなかったから、あの人嫌い…」という考えは、よくよく考えると自分に優しくしてくれなかったらあの人は嫌いという自己中心的な考えのひとつ。
「〇〇さんは優しくしてくれないから好きじゃない〜」と発言している人がたまーーーにいるが、単に自分には優しくしろよっという願望に過ぎないので全然無視して大丈夫です。
最後に
自分はひとりしかいないので、全員に優しく気を使う必要は全くありません。(意地悪しろというわけでもないです(笑))
大切と言える友達を作り
自分にストレスをためず
時には人間関係に悩み解決し
素直に生きていける
そんな人生を歩んでいきましょう。
とりあえず優しさについてはこれでおしまい